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谷口正和 プロフィール

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2016年12月26日

ガロという時代

 

私は1970年3月号でガロの新人賞に「タイトルはありません」で入賞し、発表の場を得た。
ガロは発表と評価の役割に先鞭をつけ、横丁文化として、裏道クラブ的マーケットそのものの中に複合していた。
青林堂という小さな編集室に何度か訪問し、ガロの初代編集長 長井勝一さんには「あんまり焦って走らないほうがいい」など多くのアドバイスをいただいたのを覚えている。
当時から文化の表通りというより裏通りにあった雑誌だった。寺山修司や唐十郎に代表されるような、メインシアターではなくテントを劇場そのものと見切る美学。そこが劇場だと思えば劇場になる。
内にこもらずに、書を捨て町へ出よと寺山が呼びかけた時代。
佐々木マキや林静一などと同世代で、私は漫画家にはならなかったが、文化の裏道が探り当てたアンチテーゼのように見えながら、もう一つ先の文化に明るさを投げかけるような気配に、次の時代を想像していた。
創刊50年を超えて、「ガロ」のフィードバックブック『ガロという時代』(青林堂 税別1800円)が出版されている。
伝統的なサブカルチャー、コミックカルチャーの楔を引き受けてきた劇画の、ミニ劇場と呼べるような繰り返しは、我々の中に泥臭さ、土の匂い、表を歩けなかった人への目線を思い起こさせる。積み残された人々に共感の目線を持っただろうかという教訓をそこに見る。時代は多彩と多様性に流れがあり、ガロはそこに至る勇気を与えた。

私は1970年3月号でガロの新人賞に「タイトルはありません」で入賞し、発表の場を得た。

ガロは発表と評価の役割に先鞭をつけ、横丁文化として、裏道クラブ的マーケットそのものの中に複合していた。

青林堂という小さな編集室に何度か訪問し、ガロの初代編集長 長井勝一さんには「あんまり焦って走らないほうがいい」など多くのアドバイスをいただいたのを覚えている。

当時から文化の表通りというより裏通りにあった雑誌だった。寺山修司や唐十郎に代表されるような、メインシアターではなくテントを劇場そのものと見切る美学。そこが劇場だと思えば劇場になる。

内にこもらずに、書を捨て町へ出よと寺山が呼びかけた時代。

佐々木マキや林静一などと同世代で、私は漫画家にはならなかったが、文化の裏道が探り当てたアンチテーゼのように見えながら、もう一つ先の文化に明るさを投げかけるような気配に、次の時代を想像していた。

創刊50年を超えて、「ガロ」のフィードバックブック『ガロという時代』(青林堂 税別1800円)が出版されている。

 

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伝統的なサブカルチャー、コミックカルチャーの楔を引き受けてきた劇画の、ミニ劇場と呼べるような繰り返しは、我々の中に泥臭さ、土の匂い、表を歩けなかった人への目線を思い起こさせる。積み残された人々に共感の目線を持っただろうかという教訓をそこに見る。時代は多彩と多様性に流れがあり、ガロはそこに至る勇気を与えた。

 

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