テーマも、疾病、障害など高齢期のネガティブな側面に焦点が当たっていましたが、実際は8割は健常者。現在は、普通の高齢者の生活の質をいかに健康で豊かにするか、という高齢期の可能性を追求するポジティブな側面にフォーカスされています。
私の専門である心理学から1例を紹介します。誤った「発達と老化」の通念です。人間の能力の発達曲線をみると、生まれたときは走ることも計算もできませんが、20歳くらいまで急速に発達し、その後はそれを維持しながら、だんだんと低下していくと、40年前にこのように習いましたが、詳しく研究していくと、けっしてそうではない。
「認知能力の年齢による変化」をみると、例えば電話番号など“短期記憶能力”は年齢とともに下降線をたどりますが、“言語(語彙)能力”は年をとっても伸び続け、語彙は増えるのです。もっと大事なのは“日常問題解決能力”。私たちは日々の問題を解決しながら生きており、そのときいろいろなことが必要です。情報を処理する能力も必要です。長く生きてきた間に経験したことは頭の引き出しに入っており、問題が起こったときそれをうまく引き出して使えることも大切です。人間関係の経験も需要です。私たちはそうした能力を総合して日々、問題解決をしています。こうした問題解決能力は、高齢期まで伸びると言われています。
逆に非常に早くから落ち始める能力もあります。例えば人は、人間の顔と猿の顔を同じくらい正確に弁別する能力を持って生まれてきますが、1歳になると人間の顔は弁別できても、猿の顔は弁別できなくなります。また生まれたときは世界中の言葉の音声を弁別できる能力を持っていますが、日本語の環境で2年も育つと、RとLを弁別する能力は失います。使わない能力は落ちるというわけです。
つまり、“人間の能力の変化は多次元で多方向”なのです。「多次元」とはいろいろな能力があること、「多方向」とはある年齢(例えば70歳)になると、まだ伸びている能力もあるし、低下している能力もあること、を意味します。
その中から分析結果の1つを紹介します。健康調査の中に「生活自立度」の質問があります。「お風呂に入る、短い距離を歩く、階段を2,3段上がる」など、ごく日常生活の動作が1人でできるか、杖や人の助けが必要かを聞いています。また「日用品の買い物をする、電話をかける、バスや電車に乗って外出する」と、日常のアクティビティも1人でできるかを聞いています。
分析した結果、男性には3つのパターンがありました。約2割は70歳までに生活習慣病で亡くなっています。約1割強が、80~90歳になってもお元気。残りの7割は70歳代半ばまでお元気で1人暮らしもでき、そのあと助けが必要に。べつに要介護というわけではありません。女性の場合は、1割強が70歳になる前に亡くなるか、重度の介護を必要とする人がいます。残りの女性は70歳代前半までは元気で、そのあと援助が必要になってくるということがデータからわかります。
ちなみに、厚生白書の【老後の自立生活時間の長さ】の図をみると、65歳以降の年数(男性は20年、女性は25年)の約90%は、自立しています。年齢なりに元気で生活している期間が9割なのです。人生は長く、要介護の期間は長くないということです。
では私たちは何をすべきでしょうか。1つは「無理なく楽しく健康寿命を延長」すること。自立期間を長くするのです。人に頼らずに生きていける期間が長いわけですから、個人にとっても幸せなことであり、同時に社会にとっても、元気であれば生産活動にも従事でき、医療費・介護費抑制にもつながるので重要です。
2つ目は「弱っても住み慣れた所で、安心で快適に生活できる環境を整備」することです。男性の7割、女性の9割のニーズに目が向いていません。3つ目は「人のつながりをつくる仕掛けづくり」が必要だと思います。個人の努力と、社会の仕掛けづくりと両面でやっていかなくてはいけません。
【Profile】 あきやま・ひろこ
イリノイ大学でPh.D(心理学)取得、米国の国立老化研究機構(National Institute on Aging)フェロー、ミシガン大学社会科学総合研究所教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授(社会心理学)、日本学術会議副会長などを経て、現在、東京大学高齢社会総合研究機構特任教授。専門はジェロントロジー(老年学)。高齢者の心身の健康や経済、人間関係の加齢に伴う変化を20数年にわたる全国高齢者調査で追跡研究。近年は首都圏と地方の2都市で長寿社会のまちづくりの社会実験に取り組む。長寿社会におけるよりよい生活のあり方を追求。