「家族とは血縁や法制度で規定されるのではなく、生活をシェアする仲間」と考える人が増えているというGQジャパンの記事を受けて谷口は以下のようにコメントした。
「擬似家族だな。家族でなくても家族のようであればそれでいいんだよ」
家族とはそもそも血縁というもっとも原初的な繋がりによって支えられた共同体だった。原始社会ほど血縁を大事にする。家父長制によって支えられた大家族は既に崩れたが、今度は核家族というあり方も揺らぐ兆候が見えていたようだ。
戦前の産めよ増やせよ富国強兵の時代に於いて、5人以上の兄弟はそう珍しくなかった。そして戦後に厚生労働省が定めた「標準家族」は父母と子供2人の4人家族。やがて核家族化が問題の焦点となった。総務省が2011年に発表した国勢調査結果によれば、2010年10月の時点で全国の単身世帯は初めて3割を超える割合に達し、最も多い世帯構成となったそうだ。大家族からどんどん人が減っていき、ついに我々の多くは「単身」となり、一人世帯が標準となってしまった。
対して、今回の事例で取り上げたような伝統的な家族形態に縛られない「ダイバーシティ」家族は未だ5%前後に過ぎないが、その数は増加傾向にある。
これは家族が何人で構成されているかという問題を大きく飛び越えている。何故ならこれまで何人家族であろうがその根底にあったのは血縁という繋がりであったが、ダイバーシティ家族はもはや血縁を全く意に介さない。核家族の中に何の脈略もなく放り込まれた同性愛者でさえ平等に家族と見なすのだから。
そこには血縁という縛りを飛び越えた大家族の再生がある。谷口はこの記事のレポートに「幸福の多様化」という言葉を書き入れた。家族でなくても、血が繋がっていなくても、家族のようであれば幸福。今週のイマジナスキーワードには「手の復権」というものがあったが、幸せの多様化とは失われた大家族の血縁を超えた復権でもあるのではないだろうか。
(編集部 I)
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