瀧本哲史の『君に友だちはいらない』を読んだ。
まずこの本の前提は「人間がコモディティ化」しているということ。コモディティとは代替可能な消耗品。資本の効率化が進んだ結果として地球規模で人間自身が商品になってしまっているという状況である。結果的に、人間を消費して捨て去る「ブラック企業」の跋扈に繋がっているという。
以上の現状認識自体は資本主義が歴史に登場した時点から言われていることであってさほど新しいものではないが、瀧本氏はその状況への対抗策として「結社(この後本書ではチームという言葉が使われる)を作ること」を提示する。
資本主義によって人々がコモディティ化される今の構造(=パラダイム、とも本書では呼ばれる)を変えるにはどうすればいいか。それはパラダイム・シフトが起こらなければならない。ではパラダイム・シフトはどうすれば起こるのか。
人類の共通見解が天動説から地動説へと移ったのは、コペルニクスやガリレオの発見もいざ知らず、「旧世代が死に絶えたこと」が理由として大きい。故に旧世代の価値観に囚われない「若者の結社」こそを今起こすべきであるとする。若いチームでイノベーションを起こせば、彼らはもはや代替不可能なものになれる、ということ。
本書の表紙を飾る『七人の侍』をはじめとして、その『七人の侍』を作った黒澤明監督率いるチーム、朝日新聞の人気連載『プロメテウスの罠』を書く社内の主流から外れたメンバーが集められたチームなどなど、様々なチームが紹介される。
前半ではそのためのチーム作りには馴れ合いの関係ではなく、信頼できる人脈を築くこと、自分と近しい関係にある人は自分と同じような知識しか持って居ない場合が多いため、なるべく自分から遠い異業種の人々との関わりを重視すること、それには学生や趣味のサークルなどのフラットであった関係のコミュニティからの選定が望ましいことが説かれる。
ここまでは「周囲」への対外的アプローチのノウハウを中心として話は進んできたが、後半からは「自分」へと話題はシフトしている。仲間を作るには雄大なビジョンをぶち上げよという勧告から始まって、そのために自分をどのようにブランディングしていくべきか、自分の目標へのストーリーをどう描くべきかなどが説かれている。
本書の目的は「コモディティでなくなるにはどうすればいいか」。コモディティ=取替えのきく消耗品にならないためには、ブラック企業に具現化されたような資本の悪意に食いつぶされないためには個人はどのように生きるべきなのか、それを説明することだ。
結論としては、それは新たなイノベーションを作り上げることが出来るチームを結成することであり、本書はほとんど様々な実例を挙げてのその方法の解説に費やされている。
本書が主張しているノウハウは、表紙にしているだけあって全て『七人の侍』によって説明することが出来る。
『七人の侍』で活躍する七人のチームは、
① 野武士を撃退するという共通の目的を持っている(共通の目的)
② 出自も経歴もバラバラだがお互いの役割がはっきりしている(相互補完を可能にする多様性)
③ 降って湧いた目的のために集められた急造チームである(人材の流動性)
④ 少人数で野武士の大群と戦わなければならない(大きな目的)
⑤ 戦の経験の無い素人のような若武者も、プロの戦闘者である野武士との戦いに組み込む(未経験故の強さとパラダイム・シフト)
これからは地球上全ての人間が消耗品のように取替えの効く「コモディティ」になってしまう危険性がある。グローバルな資本主義によって。
代替可能ということは「あなたでなければいけない」と言ってくれる人がいなくなるということ。
本書は、「理想的なチームを作る事によって唯一無二の存在となり、コモディティ化を避けろ」と勧める。その過程で「馴れ合いの関係」を否定し、合理的な仲間を選び取れ、というのがタイトルに込められた意味である。
しかし、その行動原理、つまり馴れ合いの関係を否定してメリット・デメリットで仲間を選び取るそのやり方は、「コモディティ化」を推し進める資本主義のやり方と酷似しているのは皮肉である。
本書は「仲間」から「あなたでなければいけない」と言ってもらえる方法、そう言いたくなる「仲間」を見つける方法はこと細やかに教えてくれる。この本は徹底的に合理的なことを書いている。
合理的な資本主義に対抗するには自分がそれ以上に合理的にならなければいけないということか。