今週のIMAGINAS分析会議では東洋経済7月5日号から以下の事例が報告された。
「エドワード・スノーデン氏が米国国家安全保障局の行っていたネット監視を暴露してから1年。
その後、オバマ大統領は個人情報の扱いに関しての権利に言及したが、未だに米国政府は個人の同意なしにデータの収集を継続できるようになっている。
逆に、フランス政府は諜報活動をこれまでより一層活発化する。フランス政府はスノーデンの暴露直後、政府によるネットの監視権利を大幅に増加させる法案を忍び込ませた」
谷口は
「戦略情報時代だな。国家は当たり前に国民の生活を覗いているのだろうな、我々が気づいていないだけで」
とコメント。
オバマ大統領はスノーデン事件について、
「アメリカ国民の電話は盗聴していない、安心して欲しい」
と国民に呼びかけたが、
では我々の電話は盗聴しているのかとアメリカ国民以外はいぶかしみたくなる。
記事にあるように、スノーデン事件を機に各国で、国家による個人情報の密かな監視に関する議論は盛りあがった。
アメリカにサイバー攻撃の疑いを掛けられていた中国はここぞとばかりにアメリカを攻撃したし、メルケル首相の通話内容をアメリカが盗聴しただのしていないだのetc
これに関して、作家で元外務省主席分析官である佐藤優氏は、
「国家による盗聴は言わば公然の秘密」
であるという趣旨の記事を東洋経済に掲載している。
そうすると、スノーデン事件は思いもよらない事実を暴露したのではなく、皆が薄々感づいてはいたが、あえてそれには触れなかった事実を突いてしまったという見方のほうが正しいのだろうか。
「せっかく皆で黙ってたのになんで言っちゃうんだよ」という苛立ちを持っているのは、スノーデン氏の同僚だけではなく、案外日本政府もなのかもしれない。
テロリストを防ぐ為に個人情報を犠牲にするのは許されるのか。
最大多数の最大幸福のために、個人のプライバシーは暴かれるべきなのか。
そもそもここ10年ぐらいで急速に権利を主張し始めた「個人情報」とは一体何なのか。
学者や専門家だけではなく、一人一人が考えるべきであるという投げ掛けがスノーデン事件なのかもしれない。