今週のIMAGINAS分析会議では東洋経済7月12日号から以下の事例が発表された。
「ニホンウナギが絶滅危惧種に指定された。国際自然保護連合が6月12日、絶滅の恐れのある生物の情報を載せたレッドリストの最新版を発表し、ニホンウナギを新たに加えた。
ワシントン条約の保護対象に入れば、ニホンウナギの漁獲量は更に減少する。
あるスーパー関係者は、味に全く遜色のない米国やインドネシア産の別種の鰻を仕入れると話すが、北里大学の吉永講師は、そもそも資源量の少ないインドネシアなどの鰻に手を出せばそちらも絶滅危惧種になりかねないと警鐘」
これについて谷口は以下のようにコメント。
「絶滅危惧種保護政策。しかし何か代替商品があればいいのにな。蛇とか。」
今の東京湾はかつては江戸湾と呼ばれ、そこは黒潮が流れ込む豊富な漁場だったそうだ。
そうして鰻は江戸の名物の一つとなった。
しかし流通の発達によって日本人ほぼ全員が鰻を食べられる環境が整備された結果、
世界の鰻は、その7割以上が日本で消費されているそうだ。
食べるだけ食べて、資源が無くなれば他国のをまた食べるというのは確かに少し無責任かもしれない。
しかしマグロだの鯨だの鰻だの、食べ物に関して他国から(それが例え筋の通ったものであったとしても)制限をされるのは日本人の感情としてはあまり気分の良いものではない。
日本には古くから鰻を食べる「文化」があった。
文化だからなんでもかんでも許されてしかるべきというつもりはないが、その文化を守るためには漁獲量の制限や価格の高騰もやむをえないのか。
ところで、土用の丑の日に食べるものは、そもそもの由来としては「う」が付けば何でも良かった。ウドンやウメ、ウエハースでも問題は無い。
更に言えば別に頭文字である必要ですらなく、アンコウでもカリントウでもカルピスウォーターでも縁起担ぎになる。
こういったいい加減さも、古くから残っている文化の良いところだ。