今週のIMAGINAS分析会議では、以下の事例がWEB RONZAから紹介された。
来週発行のIMAGINASに掲載されている事例だが、ネット上での反応などは書かれていないため、それらをここで紹介したい。
「老化が異常に早く進行してしまう『プロジェリア』。世界でも希な難病を患うベルギー人少年ミヒル君(15)は、昨年出版した自著で、日本の取材に対する怒りを書き綴る。
日本のテレビ取材は09年のこと。当時、平均寿命の13才に近いていたミヒル君。カメラは『死の影に怯える悲壮な少年と家族』を描こうと必死。サッカー選手という将来の夢を語らせ、「でも、君に未来はないよね」と声をかける。それでも涙を見せない彼を祖父の墓に連行し「もうすぐ君もここに入る。大好きなおじいちゃんに会えるね」とたたみかける。父親はとうとう爆発し、荷物を纏めて帰るよう叫んだという。
著書の中にネガティブな文言はほとんどないだけに、日本の取材班について滲み出る不快だけが異様に目立っている。」
谷口は以下のようにコメント。
「日本メディアの不快と異様。その様は世界的に観ても問題だね。日本には独特のジャーナリズムがあるが、一部はジャーナリズムと呼べるような代物ではない」
この記事はWEB上でも大々的にシェアされており、過去にミヒル君を取り扱った番組などを調べ、この取材班がどのテレビ局のものか特定しようという動きも広がっている。この記事を書いている7月17日時点で特定はほぼ終わっており、テレビ局に直接抗議の電話などをしたり、その局のスポンサーの商品に不買運動をしようという声すら観られる。
似たような例として、東日本大震災の際には遺族に対して
「家が流されて、家族が死んで今どんな気持ちですか?」
と執拗に尋ねたレポーターがネット上で糾弾されたことがある。
自分たちの思う絵を撮るためには倫理などは省みない日本の取材のやり方には怒りを禁じえない。
視聴率至上主義はその一つの原因ではあるかもしれないが、あたかも「我々は貴方たち視聴者が望んでいる映像を提供する為に頑張っているだけですよ」という責任転嫁を感じないでもない。
ネット上では、
「視聴者は別に涙などは望んでいない。やたらセンセーショナルな絵ではなく、事実を冷静に報道して欲しい」
という意見も多い。
事実を報道するのではなく、自分たちの求める絵を無理やり作ろうとする姿勢は、谷口が言うようにジャーナリズムとは正反対だ。
ネットメディアの台頭はIMAGINASでよく取り上げる事例だが、
既存メディア、特に一部のテレビはいい加減に派手な絵を無闇に追い回すのを止めてほしい。
メディアの王として長らく君臨していた彼らだが、報道倫理というものをもう一度よく考えるべきだ。