今週のIMAGINAS分析会議では以下の事例が週刊ダイヤモンドから報告された。
「イオンは24日、業績不振が続く参加のダイエーを完全子会社にすることを発表。18年度をめどにダイエーの屋号を無くすことを明らかにした。「流通革命」を掲げてメーカーから小売業に価格決定県を移したダイエーの名前は57年の歴史に幕を閉じる。」
谷口は
「安売り時代の終焉。ダイエーの看板は安売りの象徴のようになってしまった。それが敗因だな」
とコメント。
大英帝国が分裂することは食い止められたが、こちらのダイエーはとうとう姿を消してしまった。
ダイエーの創設者、故中内功が行った流通革命は有名だ。
1970年、高卒の平均初任給が2万7千円だった時代にカラーテレビは20万円ほどもした。主婦団体などが価格引下げを求める全国的な運動を繰り広げ、「価格はメーカーが決めるもの」と譲らない松下電機を筆頭としたメーカー連合と争った。
結局、メーカー側が折れてこの争いは消費者側の勝利に終わった。
その時流に乗って表れたのが「価格破壊」を理念として掲げた中内氏率いるダイエーだった。
「メーカーから消費者に価格決定の権利を移す」という彼の目標は達成されたことになる。
ダイエーの屋号は消えたが、今やメーカーに対する消費者・流通業の関係は完全に逆転していると言える。
しかし、「価格破壊は良いものだ」という認識がデフレの対応を遅らせ、日本経済低迷の要因の一つになったという見方もある。
消費者のためを思って奮闘した中内氏だったが、消費者と労働者はイコールであることを彼はどう思っていたのだろうか。
消費者におもねればおもねるほど、その別の側面である労働者にしわ寄せがいく。その最悪の形がすき屋やワタミなどだ。
戦争での極限状態と飢えという体験から、「庶民に豊かさを」という気持ちで奉仕していた中内氏の流通革命が、後のブラック企業の土壌を密かに作っていたとすれば皮肉だ。