今週の週刊ダイヤモンドの特集は「宗教を学ぶ」。
IMAGINASでは以下の記事が報告されました。
「宗教知識は国際社会に不可欠。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も信じる神は同じで、いずれも旧約聖書が聖典。そんなことも知らず、グローバルビジネスマンを気取り、クリスマスや初詣、冠婚葬祭でしか宗教に触れない国は日本ぐらい。
欧米人はイスラムに対する差別と偏見がある反面、同じ一神教というあり方を理解する。相手の宗教への理解や自分の宗教もはっきりしていない日本人とは違う。偏見は無い代わりに相手を理解する教養の無い日本人は、見た目は大人でも小学生レベルの会話しか出来ない。国際社会ではそう見られている。イスラム教に限らず、宗教に関する不勉強はグローバル社会では致命傷」
谷口は以下のようにコメント。
「日本子供社会。宗教知識が無いと言うことは、国際的には子どもとして扱われてしまうと言うことだな。英語だけならアメリカに行けば子どもでも話せる」
加えて、谷口は日本人が子どもであるという点について
「電車では懇切丁寧なアナウンス、観光地に行けば落ちないようにといたるところに柵。何もかもお世話をしてくれるコンビニエンスストア。日本全体がこどもの国のようだ」
と揶揄しました。
グローバルという言葉はもう聞き飽きるほど巷に溢れていますが、実際に国際社会で対等な相手として見られるためには英語が話せるかどうかよりも、英語を使って自分の文化や出自を話すことができるかどうかの方がより大事であるといいます。
以前弊社プログラムの文化経済研究会でご講演をいただいた北山孝雄氏のお言葉で、
「日本人ならワインよりも日本酒、シャネルよりも着物、オペラよりも歌舞伎を見に行きましょうよ」
という勧告が印象的でした。
それは決して鎖国的であるとか閉鎖的であるとか、そういうニュアンスではなく、むしろ自国の文化を知るということです。
自国の文化を知るということは、自分が何者なのかを知るということ。
逆に言えば、自国の文化を知らないということは、自分が何者なのかすら知らないということです。
これでは、まだ自我の発達していない幼稚園児のようだと世界の舞台で馬鹿にされてしまうのも無理はありません。
まずは欧米の学校が子どもたちに聖書のことを教えるように、日本の学校でも古事記や日本書紀を教えて欲しいものです。英語を始めるのはそれらが終わってからでも遅くないでしょう。