今週のIMAGINAS分析会議では週刊東洋経済12月13日号から以下の事例が報告されました。
「『邸宅美術館の誘惑』を書いた朽木ゆりこ氏へのインタビュー。
個人宅を美術館として公開した「邸宅美術館」。
大部分は貸し出し禁止。常設展示で絶対に貸すなとコレクターに遺言されているところがほとんど。
その醍醐味は、作品と共に建築や家具、小物がトータルに楽しめ、邸宅全体の雰囲気が作品にも格別な味わいをかもし出すこと。
たとえば、アメリカのフリック・コレクションではフェルメールの絵画が3枚ある。
住まう人の玄関から入り、今があって寝室がある。人間の住まいとしての痕跡があり、
コレクターの息使いを感じることができる」
谷口は
「ホームミュージアムプログラム。個人のコレクションであっても興味深く編集することで話題の種になる」
とコメント。
個人コレクションをその自宅で解放した邸宅美術館は美術館とはまったく違った趣がありますよね。
あくまでも作品の背景である美術館と違い、生活の場に美術が置かれているのが邸宅美術館。
所有者の息遣いが感じられるという意味では、マネキンが着ている衣服と、実際に人間が着用している衣服から受ける印象の違いにも似ているのかもしれません。
『邸宅美術館の誘惑』の最初で触れられているようなバーンズ財団の邸宅美術館にはルノワールやセザンヌが壁面を埋め尽くすほど置かれているそうで、そこまでいくと流石に無粋ですが、日本にも小規模な邸宅美術館は意外と少なくありません。
たとえそれが世界に名前をとどろかす巨匠の傑作でなくても、美術作品が所有者にどのような形で愛でられていたのか、それを確認するだけでも邸宅美術館は一見の価値があります。
美術品を見るついでに、所有者の人生観も覗き見できることが、美術館にはない魅力と言えるでしょう。