今週のIMAGINASではビッグイシューから以下の事例が報告されました。
「ピクサー社でアートディレクターとして多くの作品に関わってきた堤大介が始めて脚本から監督までを手がけた18分の無言劇『ダム・キーパー』。
透明な光の指す街で、小さな豚の少年が巨大な風車を動かすダム・キーパーの仕事をしている。絶えず迫ってくる有毒な空気から街を守るためだが、すすけた顔で学校に通う彼の献身をクラスメートは誰も知らない。
街が危ういバランスの上に存続していることをたった一人で見つめながら、豚の少年はもくもくとダムを動かす」
また、日経ビジネス3月2日号からは以下の事例
「電機などの大手セットメーカーが、メーカーの知らぬ間に取引先の素材メーカーなどの材料の組成を変えられてしまう「サイレントチェンジ」の恐怖に襲われている。
こうした事故ではサイレントチェンジが意図的かどうか証拠をつかむのは至難の業で、しかも多くの場合は完成品を製造したセットメーカーが責任を取ることになる。しかも発覚が遅く、分かった頃には被害はすでに甚大になっている。
グローバル最適調達といえば聞こえは良いが、日本では考えられないリスクを背負い込みつつある」
2つの事例について谷口は
「2つとも無言ということがひとつのキーワードになっている」
無言・沈黙ということは、「ない」ということを表わしているわけではありません。
『ダム・キーパー』で、豚の少年は自分が街を守っていることを語っていませんが、だからと言って彼が街を守っていないわけではない。
サイレントチェンジも、チェンジされたことは沈黙で覆い隠されていますが、だからと言ってチェンジがなされていないわけではない。
声はあげないものの、実は社会の大部分を形成している考えや意見を「サイレントマジョリティ」とも呼びますね。
声なきものの声に耳を傾けるべきという着想から「無言劇」というキーワードも挙がりましたのでその舞台裏をご紹介しました。