今週のIMAGINAS分析会議では以下の事例が朝日新聞から報告されました。
「都心を中心にディスコイベントが次々と開かれ、熱気に包まれている。ミラーボールの下に集うのは40代、50代の中壮年。バブル期の絶頂だった青春時代を懐かしむように踊りに興じる。
国内でディスコがブームになったのは70年代だが、バブル崩壊と共にブームは下火に。
00年代に入り、六本木を中心に有名ディスコ店の復活は何度かあったが、数年で閉店を余儀なくされた。」
谷口は、
「青春時代体験劇場。青春というのは繰り返しやってくる。それを思い出させてくれるようなプログラムも必要だ」
とコメント。
事例にある「ディスコ」。
2010年代ももはや後半戦にさしかかろうとしている今となってみれば、それはバブル景気の象徴の一つのような印象を受けます。
今も多人数が音楽に乗って踊る場所として「クラブ」がありますが、クラブにはディスコが持っているような能天気さは無いような気も。
それは単純な原因で、クラブとディスコでは時代的に若者の資金力がゼロ1つ(いや、2つ?)違ったからでしょうね。
踊るといえば、世紀末にカルト的な人気を集めた日本テレビ『進ぬ!電波少年』でお笑い芸人なすびが、テレビや雑誌の懸賞だけで100万円分当選するまで生活するという「電波少年的懸賞生活」企画では、懸賞が当たった嬉しさのあまり彼が自然と踊りだしたというシーンがありました。
嬉しさのあまり、体が勝手に動き出す。
これが踊りや祭りの起源だとすれば、ディスコで狂喜乱舞していた時代は長いお祭りだったのでしょう。
「嬉しい→踊る」
この図式は成り立つのだと思いますが、
「踊る→嬉しい」
これもきっと人間の条件反射としてあるにはあるのでしょうか。
音楽に合わせて体を動かすだけで、なんとなく幸せな気分になってくる。
クラブもディスコも、もっと言えば「踊る」という文化は人間が根本的に持っている幸福感への希求なのかもしれません。
辛いときは、とりあえず踊っておけばなんとなく幸せになるのかも。
そう考えれば世界史でも圧政や貧困に苦しんでいた民族から、新しい歌や踊りが生まれてくるもので。
辛いときこそ、歌ったり踊ったりしている場合じゃない時勢にこそ、幸福感の代替としての歌や踊りが必要なのかもしれません。
ところで私は小学校の頃に運動会でダンスをさせられましたが嫌で嫌で仕方ありませんでした。幸福は強制されると不愉快でしかないということですね。