今週のIMAGINAS分析会議では以下の事例がAERAから報告されました。
「作家乙一。(計算機Z1からのペンネーム)
乙一、山白朝子、中田永一、本名の安達寛高で活動し、死の臭いと切なさと不条理を描く。
幼少期は太っていたことがコンプレックスで、自分は「キモイ」ものだと常に思っていた。元々1人が好きで、劣等感がそれに拍車をかけた。14歳の頃にダイエットに成功するが、人と関われないことは続き、高専の5年間は人生で一番鬱屈した時代だったという。読書の海から浮上せず、教室で一人本を読んだが誰かと会話した記憶は無い。
交流を閉ざした日常に後押しされるように17歳で小説を初執筆。殺された死者が主人公というモチーフと、完成度でジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞」
乙一氏は今や小説が映画、テレビドラマ、マンガなどにもなり人気作家の一人。
軽やかな文体から、軽快でスマートな人物を思い浮かべていたのですが、5時間のインタビューではそのうち4時間は黙っているほどに寡黙な人だそう。
谷口はよく「ブルーバードマネジメント」というマーケティングキーワードを用い、何か新しい資源を手に入れるのではなく、既にあるものを魅力的に編集することができれば選ばれる理由に繫がるということを主張しています。
乙一氏の場合は、幼少期から少年期にかけて人とのコミュニケーションが苦手だった代わりに本の海に没頭することができたために文章による表現力を獲得することができました。
事例ほど極端な例ではないにせよ、小学校や中学校で1クラスに1人は周りとのコミュニケーションを全くとらず、自分の世界に閉じこもっている生徒が居たと思います。
思春期において他者とのコミュニケーションによって物理的な自分の世界を拡大できなければ、内的世界の開拓に向かうというのはよくあるパターンで、乙一氏の場合はその内的世界で小説という「ブルーバード」を発見することができました。
彼の作品は「死にぞこないの青」などクラスぐるみのいじめがモチーフになるものも多く、創作に幼少期の体験が大きく影響しているのがわかります。
いじめによって受けた心の傷をバネに活躍している著名人は多く居ますが、いじめという現実が今正に目の前に立ちはだかっている子達に彼らの声を届けるのは難しいのかもしれません。
明日学校に行けばいじめられるという子供に対し、「いじめの悔しさをバネに頑張れ」とはとても言えない。
メーテルリンクの『青い鳥』では、主人公たちは幸福の青い鳥を見つけるために長い旅をしなければなりません。
足元にあるものに気付くためには、まず扉を開けて旅に出なければならないのかも。