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2016年1月12日 09:29

 

■■■カオスの未来学■■■ 
平穏と不安が入り混じる中間にこそ、新しい可能性が眠っている。 
価値が入り混じるカオスな状態は決して悲観するものではない。 
むしろ、これが唯一、新しい未来が詰め込まれた「パンドラの箱」となるのだ。 
■混沌とする日本社会 
かつて世界2位の経済大国を謳っていた日本。しかし2011年、中国に抜かれて以降、早4年が経過した。そして現在、世界の名目GDPランキングでは3位を維持していながらも、中国との差は倍以上の開きができている。俄然、急成長を続ける中国経済に比べ、日本の経済成長は円換算で見ると、バブル経済が崩壊した1992年を境に横ばいとなっている。さらに一人当たりのGDPをドル換算でみると、日本は27位とアジアではシンガポール、香港に次いでいる。量から質への転換が叫ばれながらも、低迷する日本経済に再びメスを入れるため、安倍首相は昨年9月に新「三本の矢」を打ち出した。希望出生率や介護離職ゼロという社会保障関連の施策に加え、女性や高齢者、障がい者らの雇用拡大や地方創生を本格化し「生産性革命を大胆に進める」と、名目GDPも2割増の約600兆円を掲げた。これらの政策を見ていると、結局、成熟化した社会が求めているはずの「質」とは程遠く感じてしまう。混沌とした日本社会全体の建て直しが求められている。 
■地球社会という枠組み 
地球全体に目を移すと、交流が活性化してきている。世界の観光客数も11億4000万人にまで膨れ上がり、一日に何千人もの難民や移民が庇護やより良い生活を求めてヨーロッパ諸国に流れ込む。こうした自由への扉が解き放たれている一方で、パリの同時多発テロが勃発し、再び門戸を閉じてしまう動きも無視できない。この開放と閉鎖の二分化が、世界の趨勢となっている。人々の交流速度が加速度的に高まり、共感が複合的に交錯している。その交じり合っている点にこそ、新しい価値が生み出されるのだ。しかし、そのカオスを単なるダイバーシティという単語として理解していては、この混沌はいつまでも続いていくだろう。その理解からもう一歩踏み込んだ深い理解が必要となる。それは対立しあう価値観を押し付けあうのではなく、顕在化してきた両極を融合させていくことが大切。そのためにも、特定の枠組み内で将来を語るのではなく、互いにチャームバリューがどこにあるかについての議論が必要となる。まさに地球的視座をもった全体経営という認識が求められるのである。 
■未来へのシナリオ 
未来へのシナリオは小さな単位で動き出していく。しかし、その視点は、美しき村という暮らしの最小単位を俯瞰した視点で見ていかなければならない。それが世界に寄り添うということ。この一連のシナリオは、漫然としたカオスという言葉だけでは捉えられない。上下左右が一体となりながら、課題解決に対して、高い柔軟性を持たせていくことが大切となってくる。その柔軟性とは、平和と戦争という対極にある2つの認識を対峙させるのではない。相対する平和と戦争を両方のバランスが取れた中庸の世界。この茫洋とした認識の中に新しい社会経営が存在しているのである。とりわけ、情報社会の今は心理的な影響を受けやすい。不安が広がる中、個人は未来に対する防衛本能が働く。このネガティブな思想もポジティブへの道程となるのだ。安心と不安が入り混じるネガポジ交流は、次なる厚みのある社会に重層性をもたらす。そうして社会は一歩ずつ歩んでいくのである。そのため、すべてを分割して議論するのではなく、混沌の中で複合して未来の可能性を見ていくことが求められるのだ。 
■課題先進国の役割 
この認識を持って成熟社会を迎えた約6億人が暮らすOECD諸国を見渡すと、世界に発信すべき提言も違ってくる。上流や下流という枠組みをもって世界経済の先行きを占うのではなく、流動する社会に突入した今こそ、カオスを超えた社会の意志を汲み取っていかなければならない。その社会意志とは、「ハレ」ではなく「ケ」を示している。難民や移民が安全な暮らしを求めて各地をさまよう姿も安定した日常を欲している現われだろう。日常が持つ価値は、例えば普段の暮らしの中で使用される文化度の高い道具や、生活様式の中にある土着の知恵といえる。実際にこの文化に対する共感の輪は広がりを見せ、新しい価値を絶え間なく生み出し続けている。旅を意味するTravelという単語はフランス語のTravai(l 仕事、骨折り)から派生した。そもそも移動は骨の折れる非日常と捉えられていた。しかし、現在、生活者は非日常ではなく日常を求めて旅を続けている。まさしく単なる経済的な合理性ではなく、より質の高い暮らしを求めて流れ着いているといえるのではないだろうか。 
■開かれる「パンドラの箱」 
この潮流は、世界規模で移動が加速しているからこそ巻き起こっているのである。あらゆる垣根が取り払われ、日常に安寧を求める生活者は常に自分の価値観と照らし合わせている。そこに齟齬が生まれれば、すぐにその場から飛立ってしまうことだろう。そして他の居心地のいい場所を再び探し出し自由気ままに旅を始める。この理想郷を追い求め続ける生活者たちは、まるで渡り鳥のような暮らしに身を置く。ある一定の時間内の記憶量を増やせれば、我々の時間認識における満足度や生産性は増幅するという。しかし、空間認識に囚われ過ぎていてはいくら時間を費やしても経験が希薄になり、生活者の満足度も低下してしまう。そのため、空間よりも時間という認識を重視していかなければならない。つまり、この流動する彼らのライフスタイルに求められる認識は、定住の感覚ではなく移住、所有ではなく使用という感覚だ。このように暮らしの中における汎用性こそ、今、求められるQOLを実現した暮らしといっても過言ではないのである。 
■課題解決する「カオス」 
カオスを紐解くことによって導き出された汎用性とは、個々の生活者が生き方や人生を楽しみの中で過ごせるかどうかが問われている。それを超越したプレーンでニュートラルな判定が2016年は様々な角度で行われていくことだろう。その社会的な意志を咀嚼していくことで未来は切り開かれていく。奇しくも今年は、ブラジルのリオデジャネイロでオリンピックが開催される。世界が注目する五輪開催はカオスから導き出された認識を活性化させる絶好の機会ともいえる。それは、少子高齢化の問題やエネルギー問題といった課題解決の方策を示すだけではなく、世界の政情の安定や人口爆発に伴う食糧問題、ひいては温暖化問題に至るまで、広範囲に及ぶ課題に対して、汎用性のある解決の糸口を世界に拡散していけるチャンスだといえる。近視眼的な明日を予測するために人は歩んでいるのではない。将来の風景を想像しながら、社会意志が示すべき方向に向かって生活者は歩を進めている。2016年を社会意志元年と位置づけて、世界の課題を余すことなく問題提起していこう。 

平穏と不安が入り混じる中間にこそ、新しい可能性が眠っている。 

価値が入り混じるカオスな状態は決して悲観するものではない。 

むしろ、これが唯一、新しい未来が詰め込まれた「パンドラの箱」となるのだ。 


■混沌とする日本社会 

かつて世界2位の経済大国を謳っていた日本。しかし2011年、中国に抜かれて以降、早4年が経過した。そして現在、世界の名目GDPランキングでは3位を維持していながらも、中国との差は倍以上の開きができている。俄然、急成長を続ける中国経済に比べ、日本の経済成長は円換算で見ると、バブル経済が崩壊した1992年を境に横ばいとなっている。さらに一人当たりのGDPをドル換算でみると、日本は27位とアジアではシンガポール、香港に次いでいる。量から質への転換が叫ばれながらも、低迷する日本経済に再びメスを入れるため、安倍首相は昨年9月に新「三本の矢」を打ち出した。希望出生率や介護離職ゼロという社会保障関連の施策に加え、女性や高齢者、障がい者らの雇用拡大や地方創生を本格化し「生産性革命を大胆に進める」と、名目GDPも2割増の約600兆円を掲げた。これらの政策を見ていると、結局、成熟化した社会が求めているはずの「質」とは程遠く感じてしまう。混沌とした日本社会全体の建て直しが求められている。 


■地球社会という枠組み 

地球全体に目を移すと、交流が活性化してきている。世界の観光客数も11億4000万人にまで膨れ上がり、一日に何千人もの難民や移民が庇護やより良い生活を求めてヨーロッパ諸国に流れ込む。こうした自由への扉が解き放たれている一方で、パリの同時多発テロが勃発し、再び門戸を閉じてしまう動きも無視できない。この開放と閉鎖の二分化が、世界の趨勢となっている。人々の交流速度が加速度的に高まり、共感が複合的に交錯している。その交じり合っている点にこそ、新しい価値が生み出されるのだ。しかし、そのカオスを単なるダイバーシティという単語として理解していては、この混沌はいつまでも続いていくだろう。その理解からもう一歩踏み込んだ深い理解が必要となる。それは対立しあう価値観を押し付けあうのではなく、顕在化してきた両極を融合させていくことが大切。そのためにも、特定の枠組み内で将来を語るのではなく、互いにチャームバリューがどこにあるかについての議論が必要となる。まさに地球的視座をもった全体経営という認識が求められるのである。 


■未来へのシナリオ 

未来へのシナリオは小さな単位で動き出していく。しかし、その視点は、美しき村という暮らしの最小単位を俯瞰した視点で見ていかなければならない。それが世界に寄り添うということ。この一連のシナリオは、漫然としたカオスという言葉だけでは捉えられない。上下左右が一体となりながら、課題解決に対して、高い柔軟性を持たせていくことが大切となってくる。その柔軟性とは、平和と戦争という対極にある2つの認識を対峙させるのではない。相対する平和と戦争を両方のバランスが取れた中庸の世界。この茫洋とした認識の中に新しい社会経営が存在しているのである。とりわけ、情報社会の今は心理的な影響を受けやすい。不安が広がる中、個人は未来に対する防衛本能が働く。このネガティブな思想もポジティブへの道程となるのだ。安心と不安が入り混じるネガポジ交流は、次なる厚みのある社会に重層性をもたらす。そうして社会は一歩ずつ歩んでいくのである。そのため、すべてを分割して議論するのではなく、混沌の中で複合して未来の可能性を見ていくことが求められるのだ。 


■課題先進国の役割 

この認識を持って成熟社会を迎えた約6億人が暮らすOECD諸国を見渡すと、世界に発信すべき提言も違ってくる。上流や下流という枠組みをもって世界経済の先行きを占うのではなく、流動する社会に突入した今こそ、カオスを超えた社会の意志を汲み取っていかなければならない。その社会意志とは、「ハレ」ではなく「ケ」を示している。難民や移民が安全な暮らしを求めて各地をさまよう姿も安定した日常を欲している現われだろう。日常が持つ価値は、例えば普段の暮らしの中で使用される文化度の高い道具や、生活様式の中にある土着の知恵といえる。実際にこの文化に対する共感の輪は広がりを見せ、新しい価値を絶え間なく生み出し続けている。旅を意味するTravelという単語はフランス語のTravai(l 仕事、骨折り)から派生した。そもそも移動は骨の折れる非日常と捉えられていた。しかし、現在、生活者は非日常ではなく日常を求めて旅を続けている。まさしく単なる経済的な合理性ではなく、より質の高い暮らしを求めて流れ着いているといえるのではないだろうか。 


■開かれる「パンドラの箱」 

この潮流は、世界規模で移動が加速しているからこそ巻き起こっているのである。あらゆる垣根が取り払われ、日常に安寧を求める生活者は常に自分の価値観と照らし合わせている。そこに齟齬が生まれれば、すぐにその場から飛立ってしまうことだろう。そして他の居心地のいい場所を再び探し出し自由気ままに旅を始める。この理想郷を追い求め続ける生活者たちは、まるで渡り鳥のような暮らしに身を置く。ある一定の時間内の記憶量を増やせれば、我々の時間認識における満足度や生産性は増幅するという。しかし、空間認識に囚われ過ぎていてはいくら時間を費やしても経験が希薄になり、生活者の満足度も低下してしまう。そのため、空間よりも時間という認識を重視していかなければならない。つまり、この流動する彼らのライフスタイルに求められる認識は、定住の感覚ではなく移住、所有ではなく使用という感覚だ。このように暮らしの中における汎用性こそ、今、求められるQOLを実現した暮らしといっても過言ではないのである。 


■課題解決する「カオス」 

カオスを紐解くことによって導き出された汎用性とは、個々の生活者が生き方や人生を楽しみの中で過ごせるかどうかが問われている。それを超越したプレーンでニュートラルな判定が2016年は様々な角度で行われていくことだろう。その社会的な意志を咀嚼していくことで未来は切り開かれていく。奇しくも今年は、ブラジルのリオデジャネイロでオリンピックが開催される。世界が注目する五輪開催はカオスから導き出された認識を活性化させる絶好の機会ともいえる。それは、少子高齢化の問題やエネルギー問題といった課題解決の方策を示すだけではなく、世界の政情の安定や人口爆発に伴う食糧問題、ひいては温暖化問題に至るまで、広範囲に及ぶ課題に対して、汎用性のある解決の糸口を世界に拡散していけるチャンスだといえる。近視眼的な明日を予測するために人は歩んでいるのではない。将来の風景を想像しながら、社会意志が示すべき方向に向かって生活者は歩を進めている。2016年を社会意志元年と位置づけて、世界の課題を余すことなく問題提起していこう。