IMAGINASの前進であるNEXTHINK……その更に前進であるFAX PRESSの頃からほぼ30年来(!)の読者である岩倉榮利氏。
株式会社ロックストーンのエグゼクティブデザイナーである氏は日本の伝統的デザインを現代の家具に落とし込み6つのブランドを展開されています。
今回、そのデザインの源流をお尋ねしてきました。
その半生には日本とデンマークの150年に渡る歴史物語が刻まれていました。
-岩倉先生のデザインにある「日本的」な部分の源流は何ですか。
デザインをする前は油絵を描くのが好きな少年でした。よくお寺の境内で昼寝をして絵を描いていました。その記憶があって、インテリアの空間を作るときも未だに寺の空間をイメージします。
日本の寺は明の時代の影響が色濃く残っていて、僕はそれを日本流にアレンジしています。
■日本を学ぶしかなかった
僕の時代は豊かな人はイタリアや北欧、アメリカに留学していました。デザイン系の人間はイタリアや北欧、ファッション系はパリ。しかし、僕はずっと貧乏で、留学のためのお金も全て吞んじゃったんですよ(笑)。
だから日本国内で日本を学ぶしかなかった。
とは言え、私は終戦から3年後の生まれで、そこからまだ十数年しか経っていないボロボロの日本です。当時の日本はヨーロッパやアメリカに憧れており、とても自国の文化を誇れるような時代ではなかったので、日本のことを学んでいても「何やってるんだ」と批判しかされませんでした。とにかく留学して帰ってこないとデザイナーとしての仕事が無かった時代だったのですが、お金が無いのでしょうがなく日本に居たのが、今は独自性になったので、たまたま行かなかったのが良かった(笑)
■40年を経て、デンマークへ凱旋
-今でこそようやく日本文化やデザインが見直されていますが、たまたま海外に行けなかったのが逆に現代のデザインを先取りすることになったということですね。
僕は北欧のデザインを日本に持ち込んだ島崎信先生の研究所にいてスカンディナビアのことを学ばされていましたが、嫌でいやでしょうがなくて、それに反発して逆に日本のデザインを強固にしていったということもあります。
ちょうど僕が島崎事務所に入るときは給料は数万円。安い給料ほど自慢だった変な時代でした。いい先生の事務所ほど安いのでね。企業に入るよりもそっちのほうが人気だったんです。で、先生のところは何百人もの志望者が押し寄せるので、お金がもらえたらラッキーぐらいの気持ち。
先生のカバン持ちでデンマークに行ったんですが、デンマークには素晴らしいデザインがたくさんあって、「こんなに良いデザインがあるのか」とショックを受けました。ハンス・ウェグナー、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセン、ポール・ケアホルムらを始めとして凄い人ばっかりでしたから。でもその体験で、知らないうちに自分の中に北欧的なものも入ってきていたんでしょうね。
-北欧への反発と、憧れのようなものが良い具合にミックスされたのかもしれませんね。
それが去年から遡ると40年前の話です。40年後の去年、デンマークで展覧会をしたのですが、日本の家具デザイナーで北欧で展覧会をするのは僕が初めてだと言われました。
しかも時期が良く、前の週からデンマーク工芸美術館(現デンマークデザインミュージアム)が日本展をやっており、街中が日本のデザインに染まっていたんです。
後編は来週公開予定です。