研究会ブログ

2014年09月 5日 Fri. Sep. 05. 2014

多和田悟氏の取材とさいたま市盲導犬傷害事件

先日、日本盲導犬協会へ訓練士である多和田悟氏の取材へお伺いしてきました。

 

多和田氏は日本の盲導犬訓練士の間ではカリスマ的な存在であり、『盲導犬クイ-ルの一生』の主人公であるクイールの訓練士でもあります。

弊社発行の『LIFE DESIGN JOURNAL Vol5』にてその取材は掲載されますが、この取材は図らずも数奇なタイミングとなってしまいました。

 

というのも、多和田氏の取材から間もなく、今世間を騒がせているさいたま市の盲導犬傷害事件が起きたからです。

 

その卑劣さから事件への注目度は高く、様々な盲導犬に関する情報が見直されています。

その中で取りざたされているのは、非常に残念なことですが普段から盲導犬に対する嫌がらせや悪戯は珍しくないということです。

また、取材中に多和田氏は、盲導犬の使用に対して批判的な人が少なからず居るということを仰っておられました。

 

しかし、被害に合った盲導犬のパートナーである男性や、多和田氏はある同じ意見を持っておられました。それは、「盲導犬は自分の眼球そのもの」だということです。

 

「犬を人間の道具のようにして使うのは可哀相だ」という批判もありますが、盲導犬たちはある意味家族以上の信頼関係でパートナーと結ばれています。それを喜ぶだけの能力を犬に認めていない時点で、人間の高慢さがそこにはあるといえます。

 

盲導犬へのいやがらせや、今回の事件のようなことがおこってしまった背景には、盲導犬に対する議論や理解が日本ではまだまだ浅いということにその一因はあるように思います。

 

今回の件は許しがたい蛮行ですが、刺された盲導犬のオスカーの命に別状は無いことは救いですし、この事件が大きな社会的な憤りを呼んでいるということも救いです。オスカーに寄付をしようという運動も起こっています。

 

以下は取材の際の多和田氏の言葉を引用します。

 

「盲導犬を連れた人に「こんなとこ来るな、俺は犬が嫌いなんだから」と言う人がいます。しかし、世の中には見えない人、聞こえない人、自分で歩けない人がいる。自分が当たり前にできるからといって、できない人を排除するやり方は良くない。

ある国が成熟しているかどうかの一番の指標はその国が障害者をどう扱っているかだと思います。

盲導犬を使う一人の市民を排除しない社会。補聴器や車椅子を使う市民を排除しない社会。それが整ったとき、全ての人が生きやすい世の中になる。そしてその国の品位は非常に高いものになる。一人の人間を排除しない社会を、訓練士としては目指していきたい」

 

非常に感銘を受けた言葉ですが、先述したようにこのころにまだ事件は起こっていません。

しかし、今この言葉を読み返すと盲導犬や、健常者、人権、国家のあり方など、様々な示唆が感じられます。

これを機に盲導犬に対する議論と理解が深まり、盲導犬ユーザーと盲導犬にとって更に棲みよい社会になればと思います。

・了・

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