研究会ブログ

2014年11月14日 Fri. Nov. 14. 2014

長谷川祐子氏ご著書『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』

2015年の1月度文化経済研究会で講師をしていただくキュレーター、長谷川祐子氏の

ご著書『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』を読みました。

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キュレーションという言葉は今はIT系用語として「キュレーションサイト」、いわゆるまとめサイトや、ニュース系のアプリを指すときに使われることも目だってきましたが、そもそもキュレーターとはどういうお仕事なのでしょうか?

 

「キュレーターの仕事は、視覚芸術を解釈し、これに添って芸術を再度プレゼンテーションする、これが基本と言える」

「媒介者としてのキュレーターが必要となったのは、19世紀以降、近代芸術が個に委ねられホワイトキューブ空間の中で自立させられるようになってから」

 

美術館のあの真っ白い立方体の部屋をホワイトキューブと呼びます。

ホワイトキューブが出現する以前は、芸術というものは何らかの文脈に依存していました。

例えば肖像画は貴族の宮殿の中に飾られていましたし、

宗教画は教会に置かれていました。

 

ホワイトキューブの出現は、芸術が文脈から切り離されることを意味していたんですね。

文脈から切り離された芸術をもう一度何らかの形で再配置する。それがキュレーターのお仕事なんですね。

 

さて、しかし長谷川氏が手がけられる現代美術においては、キュレーターの役割はより哲学的になります。現代美術そのものが、芸術とは何かという自己言及を含んでいるためかもしれません。

 

「ジェームス・タレルの作品、『テレフォン・ブース』では、扉のついた電話ボックス上の箱の中に人が入って体験する。中では直径50センチの球形のドームに頭が入る状態になる。体験者は赤と青の度合いと光の強度、右半球と左半球のストロボ光のスピードを調整する4つのダイヤルを操作する」

 

この体験によって、鑑賞者は自分の視覚の中にある盲点を「見る」ことができるそうです。通常、盲点というのは我々には黒い点として知覚され、脳がそれを補っていますが、この光の体験によって盲点に色がつき、金色の点が視界に出現するのだとか。

 

展示室におけるこれらの装置は、待つこと、見ること、一定の指示に従うことという「宗教儀式」と同じ通過儀礼を要求します。

それは単なる偶然ではありません。

人間が生きている理由を探るために神を信じましたが、科学の領域が拡大すると、今度は科学と神の間の微妙な領域に芸術があることを求めました。

 

その微妙な領域の橋渡しをする役として、やはりキュレーターの存在が必要となります。

 

「コンテクストの形成の固定化、観客の読み取りの形式化に抵抗するべく、キュレーターは絶えずものの見方に揺さぶりを書け、コンテクストを脱構築、軌道修正し続ける」

コンテクスト-文脈-を脱構築し、軌道修正する。

平たく言えば新しいものの見方を提示するということでしょうか。

 

これこそが現代芸術の機能の一つであると言えるかもしれません。

つまり、不可解な物を突きつけるなどして、従来の当たり前のコンテクストを疑わせるということです。それによって我々は自分たちの社会や価値観を疑い始めます。

 

現代芸術がときに批判の的になるのは、無意識のうちに我々が、我々の立っている社会という地平・コンテクストを揺るがすアーティストを恐れた結果なのかもしれません。

 

そしてキュレーターはアーティストの共犯者であり続けます。

コンテクストを揺るがすためのコンテクストを、美術館の中に配置する。

それがキュレーターの役割の一つと考えられるのでしょうか。


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