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2008年5月28日 パブリック・セレクション
最近わたしはバスに乗るようにしている。 バスは個人用ではなくみんな用の乗り物だ。 都市部の道路混雑はいまや世界的な問題だが、 そのひとつの解決法が「カー・シェアリング」発想だろう。 パーソナル・セレクションからパブリック・セレクションへ、 つまりマイカーからバスへ、電車へ、だ。
バスは大変優れたカーシェアリング・ヴィークルと言える。 立っている時がほとんどだが、 窓から見える町の風景を見るのも楽しい。 ああ、こんな街に住んでいたのだという実感も湧く。
都市部のパブリック・ヴィークルとしては、 このバスとLTR(次世代路面電車)の二つが 基本となっていきそうだ。 道はみんなのもの、私有してはいけない。
パブリック・セレクションの概念は、 乗り物ばかりでなく、広場や公園、 学校や駅のデザインなどにもますます重要になっていくだろう。 オバマ旋風ではないが、 IからWeへのパラダイムシフトが進行しているのだ。
2008年5月27日 絶対限界点
どんなことでも、どこかで必ず「絶対限界点」が来る。 それは臨界点よりもさらに外側にあり、 ここまで来たらどんな歴史も成功も必ず反転する。 江戸時代は268年続いたが、そこが絶対限界点だった。 どうやっても延命させることができない。 潮目が反転してしまったのである。
今の時代も、絶対限界点が来ていそうだ。 量と規模を追求して、 総量形成をビジネスの目的としていれば なんとなく全員が生きられた時代が、 今絶対限界点によって反転しつつある。 イメージだけの表層を超え、 拝金主義の金融経済を超え、 もっと踏み込んで、社会と人間の内実に踏み込んでいかねばならない。
さすがのクルマ社会アメリカも 新車の売り上げが急激に落ち始めている。 世界の車の流れは、大きな新車から小型車へ、 さらには中古車へと進んでいる。 ファッション界でも、ユナイテッドアローズも、ザラも、H&Mも、 去年の秋あたりから反転の芽が見え始めている。
「絶対限界点」の到来を市場も顧客も感知し始めた。 2008年5月26日 四八会のこと
東急エージェンシーのOB会である「四八会」が 日比谷の松本楼で開催されたので、私も参加した。 「四八会」とは、 東急エージェンシーが赤坂四丁目八番地にあることに由来する。
東急エージェンシーに入社して、 はじめて東急百貨店のクリエイティブを担当したのは、 もう35年以上前のことである。 百貨店は生活のトータル産業なので、 ライフスタイルというものを具体的につかめたのが大きかった。 「四八会」は広告代理店の会なので、多種多様な人材がいる。 まさに「人財産業」なのだ。
私の最近のキーワードで言えば、 「創人創塾」である。人を創り、塾を創る。 これからは企業そのものが塾であり学校になる必要がある。 物を作るのではない、人を創るのだ。 人こそ創造の源である。
「四八会」はそのような人財の会だった。
2008年5月20日 テーマとドラマ
第25回「姫路菓子博2008」を見てきた。 全国の菓子の大博覧会である。 予想を上回る90万人が来場したそうで、 テーマ博覧会の強さを見せ付けた。 姫路城を背景にさまざまのブースや展示場が開催され、 それも実に面白かったが、 一番面白かったのは「歌劇★ビジュー」の特別公演 「SWEET DROPS~あるパティシェの物語」だった。 写真はそのパンフレットだ。
本物のパティシェを目指す青年を、 妖精のような人々が励ます物語で、 OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団の元トップスターたちが 繰り広げるファンタスティックな世界は、まさにお菓子の世界。
少し上の目線を与えるものだ。 ややシンボリックで、ドラマティックな設定である。 即物的なだけでは、テーマは伝わらない。 お菓子という夢のある世界を訴求するのに、 「SWEET DROPS~あるパティシェの物語」は 十分なテーマ力を持っただろう。 お菓子の本質的コンセプトを見せられたのである。 それは「夢」だった。 2008年5月19日 自己と主体性
今回の中国の四川大地震は、想像を絶している。 阪神・淡路大震災の20倍のスケールだという。 もはやイメージすることができない。 私も阪神・淡路大震災の時は、 当地に親戚や知り合いも多く、 水などを持って駆けつけた。
今回の中国の大地震と重ねて思うのは、 情報の時代の逆説的な怖さである。 メディアはものすごい勢いで情報を発信してくるが、 その情報の元となった事実と自分を重ね合わせるのは難しい。 情報を知れば知るほど、 自己の主体的認識が薄れていくのである。 テレビやパソコンで全部知った気分になるのだ。
今日の日経新聞(5/19朝刊)に作家の童門冬二氏が 「IT依存症」の怖さについて述べられていたが、同感する部分も多い。 「電子機器に支配されている」であり、 「血の通い合いがなくなり、人間がロボット化してきたという不安」である。 ロボットに実存的な自己と主体性はない。 その現場の中に実感的に自己をおくことができる主体性こそ、 実は人間とロボットを分ける差なのだ。 常に自己の主体性を失わない社会でいたい。 2008年5月16日 耳の風景、耳の旅
鳥越けい子さんから 『サウンドスケープの詩学~フィールド篇』(春秋社) というご著書をお送りいただいた。 鳥越けい子さんは聖心女子大学文学部教授であり、 私同様、日本デザイン機構の理事としてご懇意いただいている。
日本全国に「音の風景」を訪ねたのが本書だ。 序によれば、 サウンドスケープは「音の世界」を基本としているが、 単に「耳でとらえる音」ではなく、 「全身で感じる音」、「気配」や「雰囲気」をも 含めた世界であるという。 五感であり第六感による世界の感受である。
人間は科学の進歩と引き換えに、ずいぶんと野生を失っただろう。 ほとんど五感の耳を澄ますということも無くなった。 第六感も鈍るはずである。 我が家の犬などを見ていると、 時たま野生に耳を澄ましていると感じる時がある。 人間にとっては聞こえなくても、 彼にとっては重要な情報らしく、 耳を立てて聞き澄ましている。 「我が犬の利耳は何夏木立」虚子、である。
目に頼れば目の風景しか見えない。 音で聞けば、音の風景が見える。 同様に匂いの風景、触覚の風景、味覚の風景などもあるのだろう。 見えざる世界を見えざる感性で察知する。 そのような感性の旅。 今後、大変に重要なテーマだろう。 鳥越けい子さんの感性の旅を応援する。 2008年5月15日 ONCE AROUND
「もう一度まわってみよう。もう一度まわりを見てみよう。 そうすれば、今まで気づかなかったコトが見えてくるはずです」。
実践型課題解決コンサルティング会社を標榜する 「ワンスアラウンド株式会社」の企業理念である。 同社社長の鈴木理善(すずきさだよし)氏は 元SUZUYAの社長である。 彼が出した著書『朝礼を変えれば、お店は変わる!』 (実業之日本社)を一読させていただいた。 当社もそうであるが、朝礼を非常に大切にしている。 社員全員の「気」を揃えるトップモメンタムなのだ。 そこから会社が生き物のように動き出す。
朝礼を和英辞書で引いたら 「MORNING GATHERING」とあった。 まさに「朝の集合」である。 何か物足りない。 気がついたのであるが、 日本語の「朝礼」は「礼」という言葉がキーワードになっている。 ご存じの通り、「礼」とは東洋文化における 人間関係の重要キーワードだ。 そこには物理的概念を超えて、 「こころ」まで含まれている。 「GATHERING」と「礼」とはまったく別物だといっていい。 朝礼がいかに重要か、あらためて思わされた。 何でももう一度「ワンス アラウンド」だ。
2008年5月13日 世界から見た日本美
きものドレスデザイナーの高城良子(たきよしこ)さんから、 ステキな本をいただいた。 『KIMONOdress~きものからドレス』 (文化出版局)という本である。 日本のキモノをドレスとして 甦らせるためのデザインブックである。
彼女のメッセージから少し引用させていただこう。
「キモノは、美しい 和の色、かさねの色目、季節に合わせて七変化」 「眠っているキモノをよみがえらせたら、ステキなドレスになりました。 〈物を大事にすること〉を、キモノから教えてもらいました」。
紹介されているキモノドレスは、すべて実物大パターンつきだ。 日本美を日本の中だけに閉じ込めていては、 その本当の価値は分からない。 外から見たときに、はじめて内側の美しさに気がつくのだ。 高城良子さんは、元ANAの国際線CAで、 国際感覚にあふれた人だ。 私の友人、大内専務の秘書もやっておられた。
世界を見てきた目でキモノを見直すと、 こう見えるのかと教えられた。
高城さんのますますのご活躍をお祈りする。
2008年5月12日 和布のこころ
京都の三条通を歩いていたら、 「和ふふ」という店が気になったので入ってみた。 なんとこの店は着物のやまとの新業態だった。 やまとの矢島孝敏社長とは、 かねてからご昵懇をいただいている。 お店の方に尋ねたら、 つい先ほどまで矢島社長はいらしたとのこと。 お会いできずに残念だった。
「和ふふ」は和布と和小物のお店である。 「日本のしぐさ・文化・伝統が持つ、 暖かみのある良さを伝えてゆきたい」と ホームページにはあった。
矢島社長は、和の文化の普及をその基本方針におき、 「きものライフスタイルストア」作りに取り組んでおられる。 この「和ふふ」もその一環だろうが、成功をお祈りする。
2008年5月 9日 歴史のダイバーシティ
錫と金工具の専門店、清課堂が創業したのは、 天保九年(1838)のことだという。 今年でちょうど170年だ。 山中源兵衛が創業して、現在は7代目が引き継ぎ、 酒器などを製造・販売している。 蔵を改装したギャラリーと茶室では、作家の作品展も開かれる。
言ってみれば歴史の入れ子構造が京都なのだ。 おおきな歴史の中にいくつも小さな歴史が、 何重にも輻輳的に折り畳まれているのである。 その多重性と多様性が、 京都のダイバーシティ文化を支えている。 文化は時間と多様性で形作られるのだ。 この清課堂も寺町通りにある。 2008年5月 7日 このわたりにわかむらさきやさぶらふ
「このわたりにわかむらさきやさぶらふ」。 ちょうど千年前の紫式部の日記に出てくる言葉である。 「このへんに若紫はいるだろうか」といった意味だ。 紫式部を源氏物語の主人公にたとえて、 貴族がこう呼びかけてきたのである。 源氏物語は当時すでに貴族の間では有名だったのだろう。 貴族の声が聞こえるようである。
今年は源氏物語千年紀である。 彼女が住んでいたといわれる廬山寺に出かけてみた。 源氏物語はここで執筆されたといわれている。 本堂南には「源氏の庭」と呼ばれる庭があり、 彼女もこのような庭を見ながら執筆したのかと感慨におそわれた。
寺町は京都市の南北の通りの一つで、 かつての平安京の東京極大路にあたる。
私の母校、京都府立鴨沂(おおき)高校は寺町通に面していて、 廬山寺から3、4分の距離にある。 写真の公家屋敷風の門は鴨沂高校の正門である。 この門を眺めているだけで、 青春時代に吸い込まれていきそうである。
ちょうど隣に新島襄の屋敷がある。 新島襄は同志社大学の創立者であり、 明治を代表する教育者の一人だ。 この部屋で沈思黙考、 日本のあるべき姿を考えたのだろう。
ひとつの通りに千年、百年単位の歴史がある。 このような環境で高校時代を過せた私は幸せだというべきだろう。
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