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2008年5月 7日 このわたりにわかむらさきやさぶらふ
「このわたりにわかむらさきやさぶらふ」。 ちょうど千年前の紫式部の日記に出てくる言葉である。 「このへんに若紫はいるだろうか」といった意味だ。 紫式部を源氏物語の主人公にたとえて、 貴族がこう呼びかけてきたのである。 源氏物語は当時すでに貴族の間では有名だったのだろう。 貴族の声が聞こえるようである。
今年は源氏物語千年紀である。 彼女が住んでいたといわれる廬山寺に出かけてみた。 源氏物語はここで執筆されたといわれている。 本堂南には「源氏の庭」と呼ばれる庭があり、 彼女もこのような庭を見ながら執筆したのかと感慨におそわれた。
寺町は京都市の南北の通りの一つで、 かつての平安京の東京極大路にあたる。
私の母校、京都府立鴨沂(おおき)高校は寺町通に面していて、 廬山寺から3、4分の距離にある。 写真の公家屋敷風の門は鴨沂高校の正門である。 この門を眺めているだけで、 青春時代に吸い込まれていきそうである。
ちょうど隣に新島襄の屋敷がある。 新島襄は同志社大学の創立者であり、 明治を代表する教育者の一人だ。 この部屋で沈思黙考、 日本のあるべき姿を考えたのだろう。
ひとつの通りに千年、百年単位の歴史がある。 このような環境で高校時代を過せた私は幸せだというべきだろう。
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