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谷口正和 プロフィール

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2009年2月25日

ナイスガイメイキング

 

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阪急百貨店メンズ館が1周年を迎えた。

ナイスガイメイキング(いい男作り)がコンセプトで、

オトコの上質のライフスタイルがテーマだ。

この難しい時代に評価を勝ち得たのは、

やはりコンセプトとそのマーケティングだろう。

ファッションといえば女性が当たり前の時代は、

すでに飽和状態を迎えた。

レディスアパレルは成長しすぎて、行き詰ってしまった。

 

逆ターゲットの男性を忘れてはいませんか?である。

その見事な証明が阪急メンズ館の成功と言えるだろう。


今再び顧客目線の時代である。

ライフスタイルからモノを再編する時代と言ってもいい。

阪急メンズ館は日本のメンズスタイリングの

メインステージの役割を引き受けていくに違いない。

2009年2月23日

『動的平衡』

 


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『生物と無生物の間』(講談社現代新書)で

知的旋風を巻き起こした福岡伸一氏の新著

『動的平衡』(木楽舎)を

『ソトコト』編集長の小黒一三氏よりいただいた。

 

生命という人間存在の究極的謎を、

分子生物学の視座から追いかけ続ける福岡氏の論議は

大変スリリングで知的である。

動的平衡とは、一言で言えば、

"変化し続ける動的な流れの中で一定の平衡状態を保ち続ける"

ということである。

つまり生命そのものだ。

 

私たち人間は約50兆の細胞からなり、

それらの細胞は常に入れ替わり続けている。

このような無限の動的な細胞変化の流れの中にあっても、

私は「わたし」という一定の平衡状態を保ち続けているのだ。

 


ここで私は「八百万の神々」という日本古来の宗教観を思い出した。

万物すべてにおのおの神が宿り、

自然全体がひとつの調和体としての神様だという概念である。

まさに自然は「動的平衡」として存在し続けているのだとも言える。

全体とは部分の集合を超えた何かだという指摘があるが、

自然と宇宙は、八百万の神々の動的平衡体であるとも言えるだろう。

一歩飛躍すれば、現代はまさに色即是空、空即是色、

「ある」と「ない」との境なき動的平衡体としての

高度情報社会といえるかもしれない。

 

 

2009年2月19日

日常の小さなダイヤモンド

 


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今年も何人かの方から、

バレンタインデーのチョコレートをいただいた。

写真のチョコレートは、トゥールダルジャンのパリ本店のものだそうである。

 

日常の中に突然現れた小さな贅沢、ダイヤモンドである。

自分へのご褒美消費とか、

日常に小さなエネルギーをもたらす消費は手堅く動いている。

好景気も不景気も、一般的に語られると見えなくなる。

個人の周りを丹念に観察する必要があるだろう。

2009年2月16日

これでいい。

 


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「これでいい」とは、特に特別な何かを求めるのではなく、

普通の上というか、日常の質があれば十分、

「これでいいんじゃないか」という顧客の心理を

言ってみたものである。

「これでなければだめ」「これがいい」と、

消費の中に特別なランクを求めていた時代が、

今急速に沈静化しつつある。

八分止めクオリティ、大人の選択判断、

調和的消費といってもいい。

基本はやや高めの質とリーズナブルプライスである。

ユニクロの好調を支えているのは、

たぶんこのような顧客の「これでいい」という感覚と判断だろう。

 


写真は紫式部が住み、

『源氏物語』を執筆したと言われる

廬山寺の苔むした庭である。

千年続いた「これでいい」風景だ。

2009年2月13日

京野菜に還る時

 

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京都は基本盆地であり、海から離れている。

しかし四季の寒暖もあり、野菜を育てるにはいいところだ。

水も豊富であり、ちょうど京都の大きさの水がめが

街の下に入っているようなものだという。

 

そこで「京野菜」というブランドが生まれた。

伏見とうがらし、賀茂なす、鹿ケ谷かぼちゃ、 壬生菜、

九条ねぎ、聖護院だいこん、堀川ごぼう、

柊野ささげ、七条せり、鷹峯とうがらし等である。

 

写真は聖護院だいこんだ。

私が教授を務める立命館大学のそばの八百屋さんで見つけた。

千枚漬けにしたり、すぐきにしたりして食べる。

根菜の王者の風格である。

その豊満とでも言うべき豊かな丸さと、

自然の色そのものの白さに久しぶりに再会した。

土は生きる力と食べ物を私たちに与えてくれる。

 

自然回帰とは、土回帰のことだと思った。

 

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2009年2月12日

こちふかば


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京都へ行った折に、北野天満宮の梅を見てきた。

 

こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな

とは有名な菅原道真の歌である。

政略に敗れて九州へ流されたとき、

その出発の時に歌ったものだそうである。

 

物を見て、その物にある種の感慨をもたらすのは、

やはり歴史の力だろう。

千年もむかしに、1人の貴族がはるか彼方に流された。

その距離感、遠流感は、現代の比ではあるまい。

当時、流刑は死刑の次に重い刑だったという。

 

こちとは「東風」である。

東風が吹いたら、匂いを私のもとまで寄越してくれ、梅の花よ。

主人がいないからといって、春であることを忘れるな、

といった意味らしい。

そのような思いで梅を見た。

歴史と自然は何かを語りかけてくる。

 

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2009年2月 9日

関係価値の時代

 

 

 

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一条真也氏より、『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版)

というご著書をお送りいただいた。

一条氏は大手冠婚葬祭業を経営される

経営者であり、マーケッターである。

『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』

『ハートフル・ソサエティ~人は、かならず「心」に向かう』

『孔子とドラッカー~ハートフル・マネジメント』 などの

著書を見ても分かるとおり、精神面から社会や人間を洞察し続けている。

 

時代は「関係学」の時代である。

物と物、人と物、人と人、人と時間、人とテーマなど、

「間(あいだ)」に価値が生じる時代である。

物単体で価値を語る時代は終わりつつある。

 

最近、私が主宰する1週間情報分析誌、

「ネクシンク」でもこのテーマを取り上げたのでご紹介する。

■関係価値講座■~2009.2.2 VOL.1158~
新しい価値学習が顧客の間で認識されつつあります。それは物単体に価値があるのではなく、物と物の間、物と物の関係に価値があるという認識です。このような姿勢を「関係価値講座」と言ってみました。関係に新たなる価値あり。インターネットによって急速に広がったネットワールドも、すべて関係に価値あり、です。月間10億アクセスを超えたネットの世界には、それこそ無数の関係が成立しているに違いありません。物と物、物と人、人と人、人と場、場と場、コミュニティとコミュニティ、趣味と趣味、それら無限の「関係価値講座」テーマが、いまや世界を席巻しているに違いありません。ホストとゲストの関係価値を徹底的にサービス化して成功した東京ディズニーシーなどは、典型的な「関係価値講座」企業でしょう。物を見るな、関係を見よ、の時代が来ました。

 

ますます時代の価値が精神化し、

関係に価値が高まっていくのは間違いない。

ある意味、それは魔法ではなく、

価値の成熟の必然であると言ってもいい。

 

一条真也氏のますますのご活躍を祈る。

 


 

2009年2月 6日

回帰する未来

 

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たまたま書店で上田正昭先生のご著書を見つけた。

『日本人の"魂(たま)"の起源』

(情報センター出版局)という本である。

上田先生は私の京都府立鴨沂高等学校時代の先生だった。

授業も受けさせていただいた。

京都大学教授、アジア史学会会長も務められ、

日本古代史研究の碩学である。

「書かれた神話」の前に「語られた神話」があり、

それが本当の神話なのだという一説には深く教えられた。

日本人のDNAの根源を知らされた思いである。


今や原点回帰の時代である。

世界はブルーバードへ、だ。

私たち日本人にとって、その根本は「日本人とは何か」

ということであり、その探求と好奇心は、

必然的に日本人、日本文化へのルーツへと行き着く。

 


「回帰する未来」とは、未来像をイメージしようとすれば、

それはわが足元の過去に一度回帰する必要があるということである。

過去を未来へと照射し、クロスさせるのだ。

「師と弟子」という言葉あるが、

それは人間の叡智の伝達システムのことだろう。

 

上田先生のますますのご健勝をお祈りする。

 

2009年2月 5日

『還歴の風景』

 

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「アラ還」がブームになりつつあるという。

アラウンド還暦、つまり60歳前後の世代だ。

タイトルはあえて「還歴」としてある。

還暦とは60年の暦が一巡するということだが、

それはそのままその人の「歴史」が巡るということである。

だから『還歴の風景』である。

これは本のタイトルで、私とその「アラ還」仲間が、

「フェニックス60の会」を作り、

3年ほど前に「60歳からの生まれ直し」

として綴ったものである(海文堂出版)。

「フェニックス60の会」は、昭和17年生まれの会

「セブンティーンクラブ」から生まれた会だ。

私は「少年の風景」というタイトルで寄稿させていただいている。

山東昭子さんほか、多士済々のメンバーが

それぞれの「アラ還」の思いを綴っている。

 

マーケットは原則として、比較的多数によってリードされる。

段々上にマーケットリーダーが移行するのは当然だろう。

私も「アラ七」「アラ八」へとがんばりたいと思っている。

 

 

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2009年2月 3日

創造における足跡への回帰

 

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東急Bunkamuraが20周年を迎えて、記念企画を開催している。

「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」を観てきた。

ドイツの代表的美術館、

ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館のコレクションである。

 

2人は近代美術が現代美術へと転換する屈折点としての20世紀前半に、

絵画の具象から抽象への革命を成し遂げたキーマンである。

既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊を放ち続けた

ダダイズムと重なり合いながら、

なおもピカソとクレーならではの固有の輝きを失わなかった。

写し取る絵画から創造する絵画へ。

まさに今日のマーケティングでいう「伝え方の革新」である。

 

あらゆるイノベーションは、まずインディーズから始まる。

孤立した先鋒者だ。

20世紀はどのような美意識の世紀をはじめようとしていたのか、

それが引き継がれてどのような美の潮流が

21世紀に始まろうとしているのか、よく分かる展覧会である。

 

美こそどのような経済体制、政治体制のパラダイム変化にも耐えて、

脈々と引き継がれていく人間の魂そのものではないだろうか。

 

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