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谷口正和 プロフィール

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2009年10月28日

美の革新者。

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今年も日本橋高島屋で「草月いけばな展<花歌う>」が開かれる。

勅使河原茜氏をはじめとする、草月代表作家によるいけばな展である。

なんと今年で91回目である。継続は力なりというが、もうすぐ100回。この力は大きいだろう。

ご存じの通り、草月流は勅使河原蒼風氏が創造した、

近代の中で生け花の持つ意味をあらためて問い直した、

いわば美のイノベーションである。

全身に創作の気が満ち、見る者を圧倒する。

花の美は活けられることによって、見る者自身の心の中に侵入してくる。

生命芸術たる生け花の持つ本質的な意味、

それは自然の力と人間のイマジネーションによって、

そこに新たな美を創発することなのだ。

つまり草月の生け花はピカソやウォーホルと並ぶモダンアートなのだ。

私も覗かせていただくが、新しい美との出会いに期待が膨らむ。

11月5日~10日まで。

 

 

 

2009年10月26日

観光学。

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観光学は若い学問なのだという。

しかし21世紀において、

観光は最大の産業のひとつになるだろうと予測されている。

 

「3T」という言葉がある。21世紀の産業は、

TOURISM(旅行、観光)、 TRANSPOT(輸送)、

TELE-COMMUNICATION(電気通信)の3Tが

主要産業になるという予測だ。

事実、世界はその通りに動いている。

 

元JR東海の会長、須田寛氏が、

本格的な観光立国論『観光~新しい地域(くに)づくり』

(学芸出版社)という本を上梓された。

観光振興の基本から今後の方向まで、オーソドックスな論調の中にも、

須田氏ならではのアイデアが多様にちりばめられている。

 

若い学問こそ、これからの知恵の結集が望まれる分野だ。

21世紀は、幸福な若い学問に恵まれた。

私も最大の興味を喚起される分野である。

2009年10月22日

再定義の時代。

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あらゆるところで旧定義を再定義する革命が起こっている。

旧定義の枠組みでは収まらない

新しい時代の価値観の風が吹いているのだ。

戦後、いくつの再定義がなされてきたことだろう。

女性、主婦、家族、そして働き方。

今この働き方に、本格的な革命が起ころうとしている。

その核心は、「個人的な働き方」である。

かつての集団に吸収され、無個性であることをよしとした、

無記名的な働き方から、

自分の生き方のテーマに沿って働き方を創造する

有記名的な働き方への転換が進行している。

 

浜野安宏氏が『こんなライフスタイルがあった!~働き方の革命』(PHP)

という本を出された。

美容師、農商人、壁画師、帯屋、和紙アーティスト、漁師、

スタイリスト、料理人、野菜伝道師など、

まさに自分の人生をクリエイトしている

「働き方の革命児」16人と対談したものである。

それぞれの信念に従って、マイ・ウェイを創造しつつ、

しかも悠然と生きている16人から、新しい時代の価値観を感じる。

 

浜野さん自身が「働き方の革命児」であることがよく分かった。

2009年10月20日

凛としたGERONTOLOGY。

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GERONTOLOGYというキーワードが、徐々にではあるが浸透しつつある。

「老人学」という意味である。

高齢社会は、まさにジェロントロジー社会だ。

榊原節子氏から『凛としたシニア』(PHP)という本をお送りいただいた。

サブタイトルに『「ああいい人生だった」と思えるように』とある。

 

高齢社会は死生学の社会だ。

生はコインの裏表として、死と一体である。

生きるとは生死を合わせてを生きることなのだ。

「ああいい人生だった」とは、いかに自分らしい最期を迎えるか」と一体である。

これは肉体的な問題を超えて、

精神の領域に入らなければ到達できないことだろう。

私も現在あるコンソーシアムに参加してジェロントロジーを研究しているが、

物理的なデータや介護論だけでは解決し得ない問題が、

実はジェロントロジー研究の膨大な量を占めていることがわかった。

物から心へとは、ジェロントロジー研究においても

また真ん中にある視座である。

 

「凛」とは本来、「身が引き締まるように寒さが厳しい」という意味だという。

「凛としたシニア」になるためには、まず考え方の余剰をそぎ落とし、

余計なものを脱ぎ捨てて、心の原点に戻る必要があるだろう。

親鸞であれキリストであれ、

凛とした一個の人間として他者に呼びかけたのだから。

 

2009年10月19日

清水坂「知」の合宿。

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立命館大学ビジネススクールのゼミ生が集まって、

清水坂の旅館に一泊しながら、

互いの卒論を講評しあう合宿スクールを行った。

京都で学ぶとはどういうことか、学ぶとは何か、

それを社会にどう還元するか。

平凡な言い方になるが、まさに侃々諤々、

実に楽しく知的な夜だった。

大学とは「知」を育てる場であり、その「知」によって、

社会をより良い方向へと進めていくものだ。

「知」はまず環境によっても育成される。

清水坂には、京都1200年の「知」が濃厚に凝縮されていた。

 

 

 

2009年10月14日

旅と美術館。

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開館した新根津美術館館長・根津公一氏より

オープニングのご招待をいただいたので、拝見に行った。

都市美術館としては大きな規模ではないが、

それが一層、美というものの洗練性を感じさせる。

美は細部に宿るということだ。

設計は隈研吾氏によるもので、井上靖の『天平の甍』を思わせる興趣がある。

 

芸術が観光をリードする時代である。

アート・ツーリズムの時代が始まっている。

人は美を訪ねて、世界中を放浪するように旅するだろう。

国宝級の日本美術を展示する新根津美術館は、

新しい東京の求心力になるに違いない。

 

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2009年10月 9日

知の体系者。

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知は体系化されて、はじめて本当の知となる。

体系化されないものは雑学であって、浮遊して消えていくものだ。

 

多摩大学教授の星野克美氏が『地球環境文明論』(ダイヤモンド社)という

まさに「星野克美、知の体系論」とでも言うべき本を上梓された。

総ページ数497頁、ずしりと重い知の一冊である。

帯に「我々の文明そのものが危機の元凶か」とある。

これは近年の人類に共通する思いだろう。

地球全体を一個の生命ととらえるガイア論以来、

人類と地球はその因果関係を厳しく問われるようになった。

地球は永遠に存在し、我々人類はその上で発展し続けられるだろうという一方的な楽観論は、

いまやみごとに吹き飛んでいる。

もはや地球史的文明論、世界史的文化論で見なければ問題の本質は見えない。

星野氏はそこに1人切り込んでいく、知の体系者だ。

2009年10月 8日

教養人。

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資生堂の名誉会長、福原義春氏から最新著書をいただいた。

『だからわたしは本を読む』(東洋経済新報社)である。

帯に「私という人間は、今まで読んだ本に編集されて

でき上がっているのかもしれない」とある。

本を読む人なら、ああ私もそうだ、とうなずくフレーズである。

最初に出会った本はフレーベル館の雑誌『キンダーブック』だったそうで、

最初に出会った本というのは、いつまでも心の奥底に仕舞われているものだ。

それほどインパクトが強い。

多彩な読書体験が作り上げるもの、それは本物の教養人である。

単なる情報の時代を超えて、

今求められているのは大所からの判断を間違えない、

本物の教養人なのだ。

 

本を読んだからといって、

誰しもが社会的に認められる人になれるわけではない。

しかし社会的に名を成した人のほとんどが、

大変な読書家だったことは確かである。

読書は人間の知性の本質を磨く最大の経験なのだ。

2009年10月 6日

見えないものの力。

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一条真也氏が、立て続けに出版なさっている。

内容は様々だが、共通して言えることは「見えないものの力」だ。

一条氏は大手冠婚葬祭互助会の社長であり、作家でもある。

かつては東急エージェンシーで鳴らした営業マンでもあった。

時代はますます見えざるものの力へと傾いている。

目に見えるものはコンビニエンスストアやクルマ、

あるいは巨大都市のビル群などの有形の資産となって

わたしたちに恩恵を与えてきてくれたが、

その目に見える文明が明らかに行き詰まりを見せている。

これからは見えざる文化の時代なのだ。

安心感、心の平穏、さらには幸福感などは、

いずれも目に見えるものではなく、

信頼とか絆といった人間の内面にあるように見える。

 

一条氏は、その意味で、21世紀型の文化求道者とも言える。

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2009年10月 5日

女性論陣社会。

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社会学者の上野千鶴子氏と、政治家の辻元清美氏が、

高齢社会からニート社会、ジェンダー論にいたるまで

火花を散らす論戦を繰り広げる。

いずれも現代の女性論客として実力実績共に十分、

違う立場、違う視点から切り結んでいくが、

どこかで考え方が呼応してくる。

知性というもののディスカッションが十二分に楽しめる本だ。

ますます輻輳する社会において、

まだ意見を十分に言っていないのが女性である

(近年は女性メディアが爆発的に広がってきたから、そうも言っていられないが)。

男性主導社会を崩していくところに、次なるパラダイムが見えてくるのだろう。

がんばれ、お二方!

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