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谷口正和 プロフィール

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2010年3月31日

油屋兄弟。

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兄弟でクリエーターというのが「油屋友枝Bros.」である。

友枝雄策、友枝康二郎のお二人である。

展覧会のご案内状に、

友枝家は平将門時代から続く家柄であると書かれていた。

一族の中には、能楽・喜多流の中心人物として、

加藤清正や細川家に仕える者もいたという。

 

血筋と創作力は、一見何の関係もなさそうに見えるが、

やはりどこかでつながっていそうな気もする。

兄弟でアーティストというと、

映画「ノーカントリー」で有名なジョエル・コーエンとイーサン兄弟を思い出す。

今後も兄弟力を発揮して、アートの世界に新風を吹き込んでいただきたい。

2010年3月30日

すでに起こった未来。

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立命館大学大学院経営管理研究科で私の教え子だった岸本秀一君が、

金沢星稜大学経済学部講師として、著作に参加した。

『顧客の創造と流通~ドラッカー経営学の視点から』(高管出版)

という経営書の中で執筆している。

 

ドラッカーと言えば、まさに経営学の巨人である。

その姿勢の根本にあるのは、顧客主義を貫いたことだろう。

特に「顧客創造」という視点では、

世界のビジネスマンに大いなる示唆を与えた。

ドラッカーは自らを社会生態学者だと言った。

マーケットという生態系の変化を一望し、

その変化の重要な部分を予見的に指摘したのである。

彼はそれを「すでに起こった未来」と言った。

すでに未来への種子とその芽は、現在の中に潜んでいるのである。

その発見こそマーケッターの最大の役割だろう。

 

私もネクシンクという1週間情報紙を23年間分析し続けているが、

これも「すでに起こった未来」メディアといえるだろう。

過去の蓄積をいくらデータ化をしても、それだけでは未来は見えない。

そこに未来への種子と芽を直感することが求められるのである。

そういう意味で、客観よりも主観が問われる時代である。

 

岸本秀一君、明日へのドラッカーたれ。

2010年3月29日

ファンドマネジメント。

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立命館大学大学院経営管理研究科教授の三好秀和氏から

『ファンドマネジメントの新しい展開~資産運用会社の経営と実務』

(東京書籍)という御著書をいただいた。

時代がどう動こうとも、資産は社会活動のエネルギー源である。

本書は資産運用の全体像を、辞書を引くように解説されている。

ファンドマネジメントの重層的理解に役立つ本だ。

私も経営の座右の書とさせていただこう。

2010年3月26日

生まれ変わる美。

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私の知人で、元シャネルのイベントディレクター、

現在フリーエディターの上田佳乃さんから、素敵なバッグの写真が届いた。

着物ドレスデザイナー、高城(たき)良子さんの作品である。

素材は古い帯で、好きな色やイメージ、バッグデザインの希望を伝えると、

高城さんがいくつかの帯、合わせる布、デザインを用意して作ってくれる。

 

高城さんは元国際線のCAで、ロサンゼルスで暮らしていた時に、

日本の伝統文化のすばらしさを再確認、

帰国後にオリジナルブランド「KOYONASI~こよなし」を立ち上げた。

「こよなし」とは、この上ない、格別な、といった意味の源氏物語からの古語。

現在着物ドレス、バッグ、小物、家紋ジュエリーなどのデザイン・制作を行っている。

その繊細で優美な美しさは、言葉より写真でごらんいただくほうがお分かりいただけるだろう。

 

高城さんには当社のブログである「江戸美学研究所(エビケン)」で

「お江戸 子育て こよなし道」というシリーズコラムをお書きいただいている。

伝統の日本美、江戸文化復活の仲間である。

 

 

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2010年3月18日

財の整理学。

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週刊朝日の3月19日号の「マネー手帖2010」という特集に、

私のコメントが掲載されているのでご紹介する。

「財を整理して豊穣な人生を」というのが私の考え方だ。

今、必要なのは、私たちはもう十分に持っているのだという「知足」、

足るを知る心だと私は思っている。

つまり「持つことによる幸福」ではなく、

「持っている財を活かす幸福」によって行動を起こしていくことが、

これからの時代、新しい社会を豊かに生きることに

つながるのだという考え方だ。

 

私は2003年に『50歳から自己投資』という本を

東洋経済から上梓させていただいたが、

その中で「五得豊穣社会」というキーワードで、

時、友、経験,物、金という5つの財を整理してみた。

これら「五得」を使って、これからの社会を心豊かに見直して生きたいものだ。

なお『50歳から自己投資』は当社に少しストックがあるので、

興味がおありの方は当社までお問い合わせいただきたい。

 

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2010年3月15日

業の血脈。

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匠たちが営々と担ってきた業の血脈とはすごいものだ。

歌舞伎から能、あるいは物づくりにいたるまで、

そこには子供のころから

その世界の中で生きてきた故の業の血脈が息づいている。

 

ホテルフジタ京都の1Fエントランスホールで、

『使われることで始まる、美しさがここにある』と題して

清課堂の作品展が3月1日(月曜日)〜30日(火曜日)まで開かれている。

清課堂は江戸時代後期に錫師として創業し、

現在も錫を中心に、銅、銀などの工芸品を商っている京都の老舗である。

現在の当主は7代目山中源兵衛氏である。

 

私の著作『京の着眼力』でもご紹介させていただいた。

「この先、日本の誇りとも言える金属工芸品が

日本人の生活の中で使われなくなり、

消えてしまうようなことがあってはならない」という信念の元、

多彩な創作活動に励んでおられる。

 

私も京都では京都ブランド研究会(DIK)を立ち上げており、

座長を努めさせていただいているが、

営々と脈打つ京都の美とその担い手たちにご注目いただきたい。

 

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2010年3月12日

一枚の布。

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風呂敷は物を自在にくるみ、終わればたちまち一枚の布に戻る。

空になっても風袋は残るバッグとの違いはそこにある。

その一枚の布に美を込めたのが日本人のデザイン感覚だ。

 

日本風呂敷協会が、風呂敷の実用性と美しさをまとめた

『ふろしき包み』という小冊子を刊行した。

宮井株式会社の宮井宏明氏よりお送りいただいた。

シンプル、ナチュラル、ピュア、ハンドメイド、リユースなどの、

今の時代が求めている価値が、風呂敷に内在していることが分かる。

日本人が得意とする奥ゆかしさと抽象的美意識がそこにある。

 

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2010年3月11日

茶箱の美学。

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茶箱とは、お茶を楽しむ人が箱という小さな空間の中に、

陶器、金属、漆、竹、布などの多くの工芸品を入れて楽しむもの。

お茶を楽しむ人にとって、究極の遊びといわれている。

文化や遊びには、必ず「道具」というものが生まれる。

その道具を洗練させていくことは、文化の王道ともいえるだろう。

 


「京・KYO-たしなみ-お茶を遊ぶ-」は、

この茶箱の美学を見せた展覧会だ。

総合プロデュースは田中美知代氏、監修は大高玲香氏、後援は京都市である。

私も会場に足を運んだが、

日本美の本質である「小さいものを愛でる」美意識を堪能させていただいた。

まさに圧縮、凝縮の美学であり、ディテールの洗練である。

茶箱は世界を旅する。海外でもぜひ展覧していただきたいものである。

 

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2010年3月 8日

復刻版の力。

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『婦人画報』の創刊号の復刻版を、

アシェット婦人画報社の谷口恭子氏よりお送りいただいた。

明治38年7月1日号、創刊号の復刻版である。

時代の文化が香り立つようである。

まさにメディアは時代の申し子、

その時代の空気感、背景、生き方、価値観まで見事に映し出している。

すごい、というのが感想である。あらためて復刻版の力を思う。

その時代を凝縮するメディアとして、復刻版以上のものは

ないのではないか。そう思わされる。

この雑誌をはじめて手にした人、読んでいる人、それらの人々がどのように感じ、

どのような未来を思い描いたのか。

明治という時代が、ページの隅々まで染み渡っている。

一気に時間を越えて、明治38年に戻った。

『婦人画報』創刊号の復刻版に感謝。

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2010年3月 2日

瞬間芸術。

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花ほど美を体現しているものもないだろう。

その存在そのものが、美の化身というべきである。

花と向き合う華道は、それゆえ、美そのものと直接向き合うことになる。

ダイレクトな美との交信なのである。

 

勅使河原茜さんより、第91回草月展『展覧会のいけばな2010』をいただいた。

ページをめくれば、美の繚乱である。

人と花のエネルギッシュな格闘のようなものを感じる。

花を立体のドラマとしてとらえ、

お客に背中を見せて生けるのではなく、お客のほうに向けて花を生ける。

そのような積極的な姿勢も感じられる。

花が社会と関わろうとしているのだ。

その一瞬、その瞬間、草月の花は生きている。

瞬間芸術の不断の連続体として

現代と向き合う美意識が草月の基本とも言えそうだ。
 

 

2010年3月 1日

発想と発酵。

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デザイナーの杉本貴志氏の出版記念パーティにお招きいただいた。

その本がこの『杉本貴志のデザイン~発想/発酵』(TOTO出版)である。

杉本氏の発想を発酵させる、いわばビジュアルコンセプトブックであり、

発想というものが、いかに多様な刺激によって生まれてくるか、よく分かる。

発想は泉のごとく涌き出る。必要に迫られて涌き出るのではなく、

溢れて溢れて止めどがないのだ。

発想は常に出口を探している、個人文化の涌水なのだ。

 

閃きとかアイデアというものは、外から飛んでくるのではなく、

自己の内部に蓄積された多様な要素が、

ある意外な組み合わせによって結びついたときに生まれてくるのだという。

その意味で発想はまさに内部発酵の産物であり、

いかに学んで自己化することが重要かということだ。

学習に定番はない。すべての学習は自己学習であり、

その意味で独学だということができる。

本書も杉本氏の独学の一環だということができよう。

そこから涌き出てきた泉である。

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