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2012年2月22日 空気のような目。
京都のスモールモダニズムミュージアムとも言うべき何必館で、 ロベール・ドアノーの「ドアノーの愛したパリ」展を見てきた。 生涯に渡り、パリとパリに生きる人を撮影し続けてきたドアノーの写真は、 撮ったというよりも、つまんだ、呼吸したというような感覚である。 一瞬の瞬きがシャッターであるようだ。 およそ力まず、日常の中で呼吸した写真とも言いたい感覚である。 撮ったのではなく、写真紙にリプレイスしたような感覚なのだ。 シャッターチャンスといったような形而上的視点をはるかに越えている。 街を歩くと八百屋もパン屋も気軽にドアノーに声をかけてきたという。 彼は街の空気と化していたのだ。 本物のライフアート、本物のポエムビジュアライゼーションと言うべきだろう。 |