2011年8月23日 13:12
SURSUSの一員として被災地を体感し、みなさんに何かを伝えたいと思ったからです。
自宅を出発して550km。[気仙沼市災害ボランティアセンター ]に到着しました。
SURSUSの一員として被災地を体感し、みなさんに何かを伝えたいと思ったからです。
自宅を出発して550km。[気仙沼市災害ボランティアセンター]に到着しました。
8:30〜 ボランティアセンターにて受付をして、9:00〜 ブリーフィングを行い依頼内容と派遣メンバーの選定を行ったら、それぞれボランティアセンターの車で出発します。
私達は男性5名のチームで、作業内容は被災家屋から資財道具と美術品の搬出・清掃を行いました。
メンバーは、左から
Mさん/震災前は東京で会社員をされており、震災後、実家の岩手県にもどりボランティア活動をされています。
Sさん/私の友人で、39歳独身。会社の役職は経理部 係長。神奈川県在住
Hさん/アメリカ人で、英語の先生(日本語ペラペラ)日本人の奥様と熊本より参加です。
私/2児の父(7歳・5歳)デザイナー。神奈川県在住
Yさん/震災直後からボランティアセンターを1つずつ訪ね、ボランティア活動をされています。茨城から北上し、気仙沼で3日目。愛知県在住(チームリーダー)
派遣先へ移動中は、全てを破壊された被災地の光景に言葉も出ず、ただ唖然とするばかり。車中重い雰囲気になりながら15分程で派遣先の個人宅に到着し、家主さんには極力明るくご挨拶します。家主さんの親戚もあつまり合わせて10名ほどで早速作業開始です。
お宅は、気仙沼港から2キロほど内陸にありますが、1階の天井まで津波で浸水し、泥とがれきで無惨な状態。その中から、まだ使えそうな家財道具や、美術品(木彫りの置物や、神棚など)を屋外に運び出し、1つ1つ丁寧に泥を落として行きます。お隣のお宅は家ごとスッポリ津波で流され、家の前の電柱は根こそぎ抜かれていました。
泥とほこり、がれき、魚の腐敗臭、大量のハエに悩まされながら炎天下の作業がつづきます。いたるところにガラスの破片、釘などが散乱し、マスク、ゴーグルはもちろん厚手のゴム手袋や鉄板の中敷きを入れた長靴、など装備も必要です(足りない装備はボランティアセンターで借りられます)。ライフラインは、水道は復旧していますが、電気、ガスはまだ引き込まれていませんでした。高圧洗浄機を使おうと思い、ボランティアセンターに資材の追加を依頼しましたが、電気がありませんでした・・・。
午前中の作業がおわり、お昼ご飯に。すると、家主さんが、おにぎり、パン、飲み物、栄養ドリンクを差し入れしてくれました。食べきれない程で、逆に恐縮してしまいました(食べきれなかった栄誉ドリンクやパンは、ボランティアセンターでボランティアの方々に提供させていただきました)。午後は水没したタンスに入っていた衣類の洗濯をして、本日の作業終了となりました。
震災から数月が経過し、テレビなどの報道をみると、「被災地も少し落ち着いたかな」、と言う印象をもっていましたが、現地に行ってみて分かった事は、報道で見ていたものはほんの一部だと言う事です。3.11以来、未だ一度も人が手をつけていない場所が多く残り、あらゆる所で魚が腐敗し、悪臭を放ち、伝染病を媒介するハエの温床になっています。その数メートル隣で、復興に希望を持ち、今までと同じ生活を取り戻そうと懸命に活動している人々がいると言う事を身をもって感じました。被災者の方々はあらゆる面で支援をまっています。これから行動を起こしても決して遅くありません。SUSTAINABILITY、つまり、継続的な活動こそが復興への力となるのです。これからも私達SURSUS 研究員も少しでも力になれるよう活動していきたいと思います。
最後に、とても印象的で忘れられない風景を・・・・・・。
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